kenichi kurosawa : 黒沢健一オフィシャルサイト


黒沢健一 未来のアルバム

皆さん、遂に黒沢健一ニューアルバムが発売になりました。これから聞く方、買おうかどうしようか迷っている方、買わない方、、、人それぞれだと思います。
今回のアルバム制作の言い出しっぺであり、プロデューサーであり、ディレクターも、デザイナーもやらしてもらった僕が、実は一番望んでいた夢の日が来ました。売れるかどうかなんて二の次で、聞きたいと思ってくれる人はそんなに多くないかも知れないけど、みんな手伝ってくれませんか?と頼んで約一年。

 

一番手っ取り早い追悼盤はベスト盤。でもそんなのいらない。次に考えられるのはデモテープ集。これは有る物をCDに焼くだけだからお金かからず売れなくても損はない。でもそんなの出して健一くんが喜ぶはずもない。ましてや「やめてくれ〜」と出てきそう。一番手間も時間もお金もかかるけど、残された音源を元にそれを完成させちゃうのが、健一くんも一緒になって楽しんでくれると思ったのです。そして健一くんが寝る枕元で秀樹くんやそこにいた皆さんに「こんなアルバム作りたいんだよね」と話をし、その後献花の会で集まってくれたミュージシャンの人たちやエンジニアの人たちと「こんな事考えてるんだ・・・」と立ち話で相談。それからは次から次へと出てくるデモテープを聴いて選曲の日々。現実問題として曲数が増えれば増えるほど経費は増すわけで、、、でも曲数は減るどころか増える一方。途中でもう経費のことはきっぱり割り切ってCD1枚に収まるだけ収めようと思い直しました。1曲4分計算で75分で18曲。長い曲もあるのは分かっているので、16曲に決定後、もしもの長すぎてカットする必要が出たときのためにデモのままの1曲も入れました。結局、全曲レコーディングが終わりトータルしてみると、1時間なかった。。。(笑)さすが健一くん。他人がアレンジしてもやっぱり短い。。。

 

レコーディング中も健一くんはスタジオに来ていたと思います。一番最初のレコーディングは「KACTUS」だったのですが、できたての新しいスタジオで録る事になっていましたが、直前になって、以前Looking For The PlacesとBootsを録ったスタジオがキャンペーン期間で安く使えることがわかり急遽スタジオ変更、この時は僕たちの意思でスタジオを変えたと思っていました。次にBEST VALUEのツアーバンドで同じ新しいスタジオに入る前の晩、スタジオからエアコンが壊れたと連絡が。「は?そんな話聞いたことないけど??」できたてのスタジオなのに。仕方がないので、そのスタジオに別のスタジオを探してもらいました。元々どういうわけかその日はどこもスタジオが空いておらず、僕らも困っていたところでこの新しいスタジオがやっとの事で取れたので、スタジオ探しは半分諦めていたのですが、そのスタジオさんが見つけてきたのが、サウンドインスタジオだったのです。L⇔R時代にメインで使っていたスタジオです。もうこうなると、偶然ではなく何かの意思・意図を感じざるおえません。結局その後もその新しいスタジオへは行くことが無くレコーディングは終わりました。不思議なことって本当にあるのです。

 

2015年の春先、BEST VALUEのツアーが終わった後、ゆっくりとしたペースではありましたが、健一くんは次のアルバムの制作の準備を始めていました。パートナーは茂村泰彦氏。実は健一くんと茂村さんの自宅が割と近所なのもあって、週に何日もお互いの家に行っては一緒にアレンジの話をしていました。その頃茂村さんには次のアルバム用の23曲入りのデモテープが手渡され、アレンジの依頼がされていました。そう、次のアルバムは茂村さんの元で作られる予定だったのです。
10月には茂村さんのバンド「KACTUS」と共演する機会もあり、リハーサルから健一くんの自宅に車で送っていく際「このバンドでレコーディングに入れるなんて夢のよう」と目を輝かせていた健一くんが忘れられません。そのリハーサルの際に脳腫瘍が発覚してしまったのも現実ですが。。。
今まで岡井大二さんを始め、遠山さんにしろ、ずっと年上のベテランミュージシャンとともレコーディングもライブを何十年とやってきた中で、茂村さんは身近な兄貴的な存在になったように見えました。実際の年齢のことは置いておいてですが(茂サン失礼、、)、、、茂村さんを紹介した僕的にもこんなに仲良くなるとは思ってもみませんでした。紹介したときに既にここまで計算してたんでしょ?って健一くんに聞かれたことがありましたが、まさかまさかここまでは。それくらい健一くんの茂村さんリスペクトは相当でしたが、茂村さんの健一くんリスペクトも負けず劣らずで、いろんなところで茂村さんが健一くんのことを天才・音楽界の宝と呼んでいるのを聞きました。茂村さんもアーティストなので詩曲共に作ります。おそらく共作の曲もそう遠くない将来には出来ていたと思います。今回収録の「Dream Of Life」のように。。。

 

そう、健一くんの前には広大なワイドオープンな世界が広がっていました。さわやかな風が吹き抜ける地平線の彼方まで360°何も無い大平原です。でもまさにそこに踏み出そうとしている時に逝ってしまったのです。春になったらこのアルバムをあのコロラドの景色のなかで聞きに行ってきたいと思います。インディアンの家族にも渡してこないと。

 

 

 


HEAR ME NOW 楽曲データ

 

M1 「I Need You Loving」
2007年頃に作られた曲
1番しか歌詞が無く、また歌も1番しか歌っていなかった物に実弟の黒沢秀樹氏が2番の歌詞を作り、2番の歌唱をして、サビでは二人でハモり、兄弟デュエットが実現した曲。

 

M2「Baby You Are Mine」
2011.9.4に歌詞が完成。
どっぷりエコーはデモを録音の際にかけられたものなのでそのまま。ギターソロは健一くんが弾いているものを採用。

 

M3「Hear Me Now」
1999〜2000年(firstとBの間の頃)に制作され、「遠くまで」や「All I want is you」と並んで重要視していた曲と思われる。
2007年頃(focusに向けて?)の楽曲候補リストにも入っていた。

 

M4「A Song For Christmas」
これも2007年頃(focusに向けて?)の楽曲候補リストに入っていた曲。

 

M5「Dream Of Life」
これは2006年に作られた曲。この頃は自分用・提供用問わず、かなり沢山の楽曲を制作していました。この曲はミックス済みのデモテープしか残っておらず、詩はなくラララの状態だったの物に茂村泰彦氏が詩を書き、歌唱した物です。茂村さんの健一くんへの思いが伝わります。。。オーバーチュアのストリングスパートは遠山さんのアレンジ。こんなコラボが出来て、健一くん喜んでいるだろうな。

 

M6「Looking Like My Player」
仮タイトル「PLAYER」
MOTORWORKS用に作られた曲。この曲もミックス済みのデモテープしか残っておらず、石田ショーキチ氏のボーカルで蘇りました。

 

M7「Fontana」
1950年代アメリカのFONTANAレーベルみたいな曲と言うのがテーマだったそうで、仮タイトルのFontanaがそのままタイトルに。歌詞にはFontanaは出てこない。元はロサンゼルス郊外の地名。

 

M8「Reason For Your Smile」
2002年頃につくられたが、そのまま放置。アルバム「Banding Together in Dreams」の楽曲候補になるが、またまた放置。おそらく次のアルバムには入ったと思われる曲。

 

M9「Winds Blow」
仮タイトル「ワインのバカ」
2008年頃の曲。健一くんのデモの中でもかなり作り込んである音源。よってデモのまま収録しました。

 

M10「Please My Baby Tonight」
仮タイトル「夕暮れハミング」
MOTORWORKS用に作られた曲で、不採用後に「Banding Together in Dreams」の楽曲候補になるが入らず、シングル「Looking For The Places」の際の楽曲候補になるもまたまたはずれ、次のアルバム候補として茂村泰彦氏に託された内の1曲。元々MOTORWORKS用だったこともあり、茂村さんからショーキチさんに戻されました。

 

M11「Don’t Let It Bring You Down」
アルバム「Focus」の候補曲の1つ、アコギ1本で歌うデモテープを元にアレンジされました。ブライアンのコーラスが映える曲になりました。

 

M12「Shake It Back!」
Dream of Lifeと同時期に制作された曲。これもミックス済みのデモテープしかなったので、徳山くんが参加することに。徳山くんと茂村氏の出会いは健一くんの病室。病室でもスタジオでも彼がいるとホント賑やかでした。

 

M13「Rainin’ In My Heart」
この曲はL⇔Rとしてデビューする前からあった曲で、様々なアレンジを試された結果、どれも納得いかずお蔵入りになっていた曲。生前、次回アルバム用楽曲候補の1つとして茂村氏に託され、今こうして遂に世に出ることが出来た曲。当時この曲に関わっていた黒沢秀樹氏は、出来上がったこの曲を聴いて開口一番「わ!アメリカだ!」「こりゃ茂さんにしか出来ないアレンジだ!」と言って聞き入ってました(笑)

 

M14「Good Night」
2011.9.4歌詞完成、2011.9.10歌入れ
左チャンネルは黒沢アコギと黒沢歌のみ
右チャンネルは菊池アコギと黒沢歌
左右の歌は別テイクですので、実は全く別物を左右一緒に再生している事になります。黒沢健一のみのデモテープを聴きたければ左だけのモノラルで楽しみ、菊池氏ギターで安定した演奏で聞きたければ右のチャンネルだけをモノラルでお楽しみください。両方一辺に聞くと、なんと贅沢な世界が広がることか(笑)
これはL⇔R時代からのお付き合いのエンジニアの山内(やまのうち)さんのアイディアです。

 

M15「45’s Love Song」
フォーティー・ファイブズ・ラブ・ソングと読みます。
曲は高校生の時に書いたもので、販売?ばら撒き?用の88年に制作したデモを後半に採用。サビの歌詞はシングル盤(45回転)のタイトルの羅列で、10代から音楽(レコード)への愛でいっぱいの黒沢健一としか言いようのない曲をL⇔Rの木下裕晴氏がウクレレ等で前半インストに仕上げた。

 

M16「19 Aug. 1987」
イギリス表記です。ナインティーン・オーガスト・ナインティーンエイティセブンと読むのですが、ここだけの話・・・面倒なので、8月19日(ハチガツジュウクニチ)でいいです。。
岡井大二氏に渡っていたメロディ製作用デモの120分テープ内に完成した状態で収録されていた曲。そのテープの日付が「1987年8月19日」
(ちなみにそのデモテープにRainin’ In My Heartの初期ver.も入ってました。)
そのカセットテープ音源のまま上からダビングを施した作りになっています。岡井さんからは、このレコーディングはカセットテープ特有のヒスノイズとの戦いだったと聞きました。

 

歌詞のみブックレット最後に収録「この場所から」
2011年頃の作品。歌詞の断片や言葉のピース(単語)のみを書き残したノートの中に唯一完成した状態で残されていた詩。今回のアルバムでもわかるように、健一くんは曲先行で最初はほぼ英詩。それから日本語詩を後からはめていくのが基本的な作り方でした。なので、歌詞だけのこの詩はとても貴重なものと言えます。
 

 

 

 

| - | 2017.12.09 Saturday |
HEAR ME NOW
LIVETIME BEST “BEST VALUE
LIFETIME BEST “BEST VALUE
黒沢健一 Banding Together in Dreams
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